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<title>オールドサッカーフリーク</title>
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<description>「オールドサッカーについて語りませんか？（復刻版）」というヤフー掲示板に投稿を始めて8年になる者です。過去の投稿内容を中心に記録したいと思います。</description>
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<title>代表デビュー  2009/ 6/29 22:13 [ No.1859 ]</title>
<description> ヨハンは、国際試合で出場停止処分を受けた最初のオランダ選手という、クライフらしい、しかし不名誉な記録も残しています。それは、代表初出場にも関わらず8万5千人の大観衆の前で初ゴールを決めて見せた、欧州選手権予選ハンガリー戦（66年9月7日、デ・カイプ、2-2）の2ヵ月後のことで、2回目の出場となった66年11月6日オリンピスフ・スタディオンでの親善試合（観衆5万2千人）チェコスロヴァキア戦（1-2）の、78分の出来事でし
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<![CDATA[ ヨハンは、国際試合で出場停止処分を受けた最初のオランダ選手という、クライフらしい、しかし不名誉な記録も残しています。それは、代表初出場にも関わらず8万5千人の大観衆の前で初ゴールを決めて見せた、欧州選手権予選ハンガリー戦（66年9月7日、デ・カイプ、2-2）の2ヵ月後のことで、2回目の出場となった66年11月6日オリンピスフ・スタディオンでの親善試合（観衆5万2千人）チェコスロヴァキア戦（1-2）の、78分の出来事でした。<br /><br />ヨハンは、退場処分の判定自体については、文句はないとしていますが、試合後に主審のルドルフ・グロックナーが、ヨハンが彼を殴ったと語ったことから、試合の5日後に開催されたKNVBの懲罰委員会に召喚され、1年間の国際試合の出場停止処分（後に10カ月に短縮）を言い渡されたのでした。<br /><br />当日のメンバーは次の通り。<br /><br />66年11月6日14時30分アムステルダム、オリンピスフ・スタディオン（52,000）<br />オランダ1-2チェコスロヴァキア<br />得点者27分ゲレタ54分スワルト55分フレドリカ<br /><br />オラニエ：監督ゲオルク・ケスラー（32.9.23西ドイツ生まれ）<br />GKエディ･ピーテルス･フラースフラント(34.1.5生まれ、フェイエノールト、43試合目/通算47試合) <br />RBヴィム・シュールビーア（45.1.16生まれ、アヤックス1/60）<br />CDリヌス･イスラエル（42.3.19生まれ、フェイエ、12/47）<br />CDダーン・スライフェルス（41.9.18生まれ、PSV、20/22、キャプテン）<br />LBコア・フェルトフーン（39.4.6生まれ、フェイエ、24/27）<br />RHヴィリー・ドゥレンス（45.1.29生まれ、シッタルディア、3/4）<br />LHベニー・ミュラー（38.8.14生まれ、アヤックス、34/43）<br />RWシャーク・スワルト（38.7.3生まれ、アヤックス、23/31）<br />RIヨハン・クライフ（47.4.25生まれ、アヤックス、2/48）<br />LIクラース・ニュニンハ（40.11.7生まれ、アヤックス、13/19）<br />LWピート・カイザー（43.7.14生まれ、アヤックス、9/34）<br /><br />チェコスロヴァキア：監督ヨゼフ・マルコ（23.5.25生まれ）<br />GKイヴォ・ヴィクトル（42.5.21生まれ、デュクラ・プラハ、63/0）<br />RBボフミル・シュモーリク（43.4.8生まれ、スロヴァン・ブラスティラヴァ）<br />CDアレクサンデル・ホルヴァース（38.12.38生まれ、スロヴァン・ブラティスラヴァ、26/3）<br />CDヤン・ポプルハル（35.8.12生まれ、スロヴァン・ブラティスラヴァ、62/1、主将）<br />LBヴラディミル・タボルスキー（44.4.28生まれ、スパルタ・プラハ、19/2）<br />RHヤン・ゲレタ（43.9.13生まれ、デュクラ・プラハ、18/2）<br />LHラディスラフ・クナ（47.3.4生まれ、スパルタク・トルナヴァ、47/9）<br />RWフランチシェク・ヴェッセリー（43.12.7生まれ、スラヴィア・プラハ、34/3）<br />RIユーライ・ズィコラ（47.3.2生まれ05.12.12没、インター・ブラティスラヴァ、21/2）<br />LIヨゼフ・アダメッツ（42.2.26生まれ、スパルタク・トルナヴァ、44/14）<br />LWドゥーサン・カバト（44.8.20生まれ、スパルタク・トルナヴァ、24/2）<br />（40分）イヴァン・フルドリカ（43.11.20生まれ、インター・ブラティスラヴァ、17/2）  ]]>
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<dc:subject>名選手・名プレー・技術</dc:subject>
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<title>背番号14  2009/ 6/24 19:31 [ No.1856 ]</title>
<description> ヨハンのデビュー戦（GVAV3-1アヤックス）の背番号は不明ですが、次節のPSV戦（64年11月22日日曜日、5-0の勝利、ヨハンは2得点）では8番でした。得点後、高く飛び上がり、右足を伸ばした姿勢で右手を一振するあの独特の仕草は、この頃から既にその片鱗が覗えます。翌シーズンは9番を背負っていますから、ポジション的にはCFでの起用でしょう。右がスワルト、左がカイザーです。初の代表試合も9番でした。記録映画「NO.14」には、他
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<![CDATA[ ヨハンのデビュー戦（GVAV3-1アヤックス）の背番号は不明ですが、次節のPSV戦（64年11月22日日曜日、5-0の勝利、ヨハンは2得点）では8番でした。得点後、高く飛び上がり、右足を伸ばした姿勢で右手を一振するあの独特の仕草は、この頃から既にその片鱗が覗えます。<br /><br />翌シーズンは9番を背負っていますから、ポジション的にはCFでの起用でしょう。右がスワルト、左がカイザーです。初の代表試合も9番でした。記録映画「NO.14」には、他に11番を背負った映像もあります。69年のチャンピオンズカップ戦は10番で登場しています。<br /><br />映画では、背番号14は70/71の準々決勝セルティック戦（71年3月10日、3-0、ヨハンは1得点）が初お目見えですが、元フランスフットボール誌編集長ジャック・ティベール（1935年ローヌ＝アルプ地方モンテリマール生まれ）によると、欧州カップ戦において初めてヨハンが14番を付けて登場したのは、70年11月4日、同じチャンピオンズカップの2回戦、対FCバーゼル戦の第2レグ（2-1の勝利）、ザンクト・ヤコブ・パルクだったとのことです。<br /><br />そして、そのシーズンのファイナル、“メッカ”・ウェンブリーに詰め掛けた8万3千人の観衆の前に現れた、白地に真っ赤な縦帯の、ポップでスタイリッシュなアヤックスのユニフォームに、やや小さく幾何学的字体で描かれた、エースの定番は10番だという常識を覆す“ナンバー14”は、ヨハンの伸びやかで軽やか、奔放且つエレガントな動きが放つ目映い輝きと相まって、反逆、反体制的若者文化の花開いた70年代の雰囲気にピタリとフィットし、たちまち時代のイコン（象徴）となりました。<br /><br />デイヴィッド・ウィナーの『オレンジの呪縛』（講談社）の中で、1972年に「背番号14」を製作指揮したマールテン・デ・フォスは、ヨハンはバレエダンサーのようだと表現しましたが、その無駄のない、まるで無人の野を駆けている様にディフェンダーをあっさりと抜いて行くドリブルワークは、正にその通りだと思います。<br /><br />ヨハンは、ワンタッチ目でボールを、自分とマークする相手の中間に、丁度DFがスライディングしたくなる間合いに晒すのです。そしてタックルを髪の毛一筋で、バランスを失うことなくスピーディ、かつスムーズにかわして行くため、空タックルに終わり置き去りにされたDFは常にピッチに横たわった無残な姿に変わり、ヨハンは余裕を持ってフリーの状況を産み出しているのです。<br /><br />彼自身の言葉を借りると「どんな監督でも動き方や運動量についてやかましく言うものだが、私からすれば、そんなに走る必要はないと思っている。フットボールは頭を使って行うスポーツだ。遅過ぎもせず早過ぎもせず、丁度良いタイミングで、正しいポジションニングを取ることが重要なのだ。」<br /><br />アヤックスに魅了された一人であるバレエの振付師トエル・ファン・シェイクは、次のように語っています。「クライフはアーティストだ。彼自身はそう思ったことはないだろうがね。恐らく、ただひたすらフットボールに打ち込んでいたに過ぎないだろう。だが、スピードがあり、自身の身体を巧みにコントロール出来るクライフの動きは、本当に美しかった。今ヴィデオで見返しても優雅だと思う。無意識の優雅さは、意識したものより、遥かに美しいんだ。（『オレンジの呪縛』より）」<br /><br />14番を背負うきっかけとなった試合は、負傷でたまたまベンチスタートとなったために付けたことから始まりました。センターフォワードであるヨハンの9番は、この日ヘリー・ミューレンが付けて先発していました。こう着状態に苛立ったヨハンは交替出場。すると、形勢はあっという間にアヤックスに傾き、勝利を得ました。この勝ち方が彼もアヤックスイレヴンもいたく気に入り、縁起を担いで着ける様になったと言います。（『ディ・ヨハン・クライフ・ストーリー』ウルフェルト・シュレーダー著より）<br /><br />この試合は、状況から察すると、恐らく70年10月30日（金）アウェイのPSV戦（1-0でアヤックスの勝利）だったと思われます。  <br /> <br />  ]]>
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<dc:subject>名選手・名プレー・技術</dc:subject>
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<title>シーズン最多得点記録	2009/ 6/24 19:29 [ No.185]</title>
<description> アヤックスの、66/67シーズンの122得点（34失点）は国内記録ですが、欧州各国リーグの中では10番目に当たります。最多記録はハンガリー勢で、1916/17のMTKと、1945/46のウイペシュティ・ドージャの147得点です。MTKは22試合で失点も僅か10点！ドージャは26試合で29失点です。以下は次の通り。3位140得点:36失点＝48/49フェレンツヴァーロシュ（ハンガリー）4位128:78＝30/31アストン・ヴィラ5位127:59＝30/31アーセナル（優勝がア
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<![CDATA[ アヤックスの、66/67シーズンの122得点（34失点）は国内記録ですが、欧州各国リーグの中では10番目に当たります。最多記録はハンガリー勢で、1916/17のMTKと、1945/46のウイペシュティ・ドージャの147得点です。MTKは22試合で失点も僅か10点！ドージャは26試合で29失点です。以下は次の通り。<br /><br />3位140得点:36失点＝48/49フェレンツヴァーロシュ（ハンガリー）<br />4位128:78＝30/31アストン・ヴィラ<br />5位127:59＝30/31アーセナル（優勝がアーセナルで、ヴィラは2位）<br />6位126:31＝47/48UTアラド（ルーマニア）<br />7位125:33＝42/43トリノ<br />8位124:69＝41/42フェレンツヴァーロシュ（これだけ得点して順位は何と6位）<br />9位123:40＝46/47スポルティング（ポルトガル）<br /><br />リーガエスパニョーラは89/90レアル・マドリーの107:38が最高で、今シーズンのバルサの105:35は2位の記録です。ドイツ・ブンデスリーガは71/72バイエルン・ミュンヘンの101:38、フランス・リーグアンは59/60スタード・ド・ランスの109:46がレコードです。<br /><br />逆に、ミランは93/94シーズン（全34試合）に僅か総得点36で優勝という、曲芸紛いの記録を残しています（19勝11分け3敗、失点は17）。0-0の試合が8回、1-0が9回です。正に“ウーノ・ゼーロ”の世界です。<br /><br />1試合平均得点では、このシーズンのアヤックスの3.59点は、11番目の記録です。<br /><br />1位6.68点＝1917/18MTK<br />2位5.65＝45/46ウイペシュティ･ドージャ<br />3位5.14＝16/17MTK<br />4位4.73＝46/47スポルティング<br />５位4.67＝48/49フェレンツヴァーロシュ<br />６位4.65＝38/39同上<br />7位4.34＝47/48UTアラド<br />８位4.15＝53/54グラスホッパーズ・チューリッヒ<br />９位4.13＝41/42フェレンツヴァーロシュ<br />10位3.96＝63/64ベンフィカ ]]>
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<dc:subject>名選手・名プレー・技術</dc:subject>
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<title>ミケルス登場2  2009/ 6/22 14:25 [ No.1851]</title>
<description> 16チームの編成だったエールディヴィジは、翌66/67シーズンから18チームになりますが、アヤックスは、34試合26勝4分け4敗、勝ち点56、得点122失点34得失点差88、平均得点4.0、という驚異的な得点力を発揮して、連続優勝を飾りました。ヨハンは33得点を挙げて、初のリーグ得点王に輝いています(71/72に25点で2回目)。19歳での戴冠。やはり天才です。イェサイア･”シャーク“・スワルト（38.7.3アムステルダム生まれ、オランダ代表31/1
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<![CDATA[ 16チームの編成だったエールディヴィジは、翌66/67シーズンから18チームになりますが、アヤックスは、34試合26勝4分け4敗、勝ち点56、得点122失点34得失点差88、平均得点4.0、という驚異的な得点力を発揮して、連続優勝を飾りました。<br /><br />ヨハンは33得点を挙げて、初のリーグ得点王に輝いています(71/72に25点で2回目)。19歳での戴冠。やはり天才です。イェサイア･”シャーク“・スワルト（38.7.3アムステルダム生まれ、オランダ代表31/10）が24点、クラース・ニュニンハ（40.11.7ウィンソテン生まれ、オランダ代表19/4）が21点、ヘンドリック･”ヘンク“・クロート（38.4.22ザーンダイク生まれ、オランダ代表39/12）が15点、ペーテル･ヨハネス･”ピート”・カイザー（43.6.14アムステルダム生まれ、オランダ代表34/11）が11点と、アヤックスは、今季のバルサのような目映いばかりの、華麗なアタッキング・フットボールを展開しました。<br /><br />因みにエールディヴィジとは、英語ではhonorary divisionのことで、至高部門リーグ、即ちpremier（最高）ｌｅａｇｕｅと同義語です。<br /><br />デイヴィッド・ウィナーは、オランダのトータル・フットボール好きが高じて、オランダ語を習得し、実際にオランダに住んで、徹底してこの頃のアヤックスのことを調べ上げ、『BRILLIANT ORANGE：THE NEUROTIC GENIUS OF DUTCH FOOTBALL（輝けるオレンジ：オランダ・サッカー、その天才性と神経症的病巣）』邦題『オレンジの呪縛』（講談社）を表わしました。その中で、最強を誇ったアヤックスにおいて、最も若いレギュラーだったヨニー・レップが、ミケルスについて語っています。<br /><br />「私達の場合、ミケルスから色々と指示は出されていたが、ドリブルは禁止されてはいなかった。彼は決して融通の利くタイプではなかったが、ドリブルは私のプレー・スタイルだとして受け入れてくれていたんだ。調子が良ければDFを2、3人かわすことが出来たが、調子が悪い時はセーフティなプレーを心掛けたよ。だからボールを失うこともなかった。ボールを取られたら、チームメイト全員から非難されたものだよ。アヤックスでも、代表でもね。ヨハンは勿論、みんなから文句を言われたよ。私がボールをキープすれば、次の選手にパスを出せるし、プレーがスムーズに流れて行く。ボールを取られた時は、必死に走って取り返したものだ。」<br /><br />ウィナーが「ボールを失うと大変なことになったんですね」と水を向けると、「大変どころじゃないよ。ハーフタイムには、みんなから文句を言われたからね。でも、アヤックスとオランイェではそれが当たり前だったんだ。他のクラブでは、必ずしもそうではなかったがね。兎に角ボールを奪われないことが鉄則だった。勿論常にそう出来た訳じゃないが、あまり何度もボールを失っていたらメンバーから外されていただろう。」  ]]>
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<dc:subject>名選手・名プレー・技術</dc:subject>
<dc:date>2009-11-13T12:35:44+09:00</dc:date>
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<title>チームDR  2009/ 6/22 14:24 [ No.1850 ] </title>
<description> [ミケルスも偉大な人だったんですね。それがクライフという天才とめぐり合い、ものすごい奇跡、記録を作り出した、まさに化学反応のような仲だったと思います。サッカー界では意外と理数系の人が活躍するみたいですね。日本の中村俊輔も数学好きとして知られているし、ブラジルのソクラテスなど医者の免許を持っていたんですよね。アルゼンチンのバルダーノなど、引退後アメリカのハーバード大学で経済学修士号も取って長くレアル
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<![CDATA[ [ミケルスも偉大な人だったんですね。それがクライフという天才とめぐり合い、ものすごい奇跡、記録を作り出した、まさに化学反応のような仲だったと思います。<br />サッカー界では意外と理数系の人が活躍するみたいですね。<br />日本の中村俊輔も数学好きとして知られているし、ブラジルのソクラテスなど医者の免許を持っていたんですよね。アルゼンチンのバルダーノなど、引退後アメリカのハーバード大学で経済学修士号も取って長くレアルのフロントやってましたからね。<br />もろ文系の私など、うらやましい限りです。息子も似ちゃったみたいだし。 ]という2009/ 6/20 12:40 [ No.1849 ]の、mogurayoocorin さんのコメントに対して。<br /><br /><br />博士号を持っている、或いは引退後取得した名選手で、チームを組んでみました。<br /><br />GK：Dr.レイ・リッチモンド・ルース（医師）＝ウェールズ代表24試合<br />DF：Dr.フランシスコ・マツラナ（歯科医）＝コロンビア代表監督<br />　　 Dr.ミクローシュ・パンチチ（法学博士）＝メキシコ五輪金メダリスト<br />　　 Dr.ヴェリボル・ヴァソヴィッチ（弁護士）＝71チャンピオンズ・カップ優勝アヤックス主将<br />　　 Dｒ．アコシュ・フジ（弁護士）＝ハンガリー代表12試合<br />MF:Dr.カルロス・ビラルド（医師）＝68インターイコンチネンタル・カップ優勝、86W杯優勝監督<br />     Dr.イシュトヴァーン・ユハース（弁護士）＝メキシコ五輪金メダリスト<br />     ドトール・ソクラテス（医師）＝ブラジル代表60試合22ゴール<br />FW:Dr.ギョルギィ・シャロシ（？）＝38W杯・ファイナリスト、ハンガリー代表62試合42ゴール<br />     トスタン（内科医）＝W杯70優勝<br />     Dr.マーテ・フェニヴェシ（？）＝ハンガリー代表76試合<br />監督：Dr.ヨージェフ・ヴェングローシュ（保健体育学博士）＝チェコスロヴァキア監督、ジェフ・ユナイテッド監督<br />主審：Dr.マルクス・メルク（歯科医）＝ユーロ04決勝レフェリー<br /><br />シャロシとフェニヴェシは肩書きにDR.とありますが、何の資格かは不明です。ハンガリーが5名と圧倒的に多くなりました。 ]]>
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<dc:subject>トリビア</dc:subject>
<dc:date>2009-10-24T12:06:07+09:00</dc:date>
<dc:creator>toonisi2002</dc:creator>
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