オールドサッカーフリーク
「オールドサッカーについて語りませんか?(復刻版)」というヤフー掲示板に投稿を始めて6年になる者です。過去の投稿内容を中心に記録したいと思います。
イングランド・リーグ選抜
1987年8月8日、ウェンブリー・スタディアムに6万1千人の観衆を集めて、フットボール・リーグ生誕百周年を記念して、フットボール・リーグXI対レスト・オブ・ザ・ワールドの試合が行われました。

リーグ選抜のメンバーは以下の通り。

1ピーター・シルトン(37、イングランド代表125/0)ダービー
2リチャード・ゴウ(25、スコットランド代表61/6)スパーズ
3ケニー・サンソム(28、イングランド代表86/1)アーセナル
4ジョン・マックルランド(31、北アイルランド代表53/0)ワトフォード
5ポール・マクグラス(27、アイルランド代表83/8)マンU
6リアム・ブレディ(31、アイルランド代表72/9)ウェストハム
7ブライアン・ロブソン(30、イングランド代表90/27)マンU
8ニール・ウェブ(24、イングランド代表26/4)ノッティンガム
9クライヴ・アレン(26、イングランド代表5/0)スパーズ
10ピーター・ベアズリー(26、イングランド代表59/9)リヴァプール
11クリス・ワドル(26、イングランド代表62/6)スパーズ
12コリン・クラーク(24、北アイルランド代表35/13)サウサンプトン
13スティーヴ・オグリゾヴィッチ(29、イングランド)コヴェントリー
14オズバルド・アルディレス(35、アルゼンチン代表53/8)スパーズ
15パット・ネヴィン(23、スコットランド代表28/5)チェルシー
16ノーマン・ホワイトサイド(22、北アイルランド代表13/2)マンU
17アラン・スミス(24、イングランド代表13/2)アーセナル
監督テリー・ヴェナブルス(44)スパーズ

世界選抜
1リナト・ダサエフ(30、ソ連代表91/0)スパルタク・モスクワ
2ジョジマール(25、ブラジル代表6/2)セビリア
3セウゾ(25、ブラジル)スポルティング・ブラガ
4フリオ・アルベルト(28、スペイン代表34/0)バルセロナ
5グレン・ヒーセン(27、スウェーデン代表68/6)フィオレンティーナ
6サルヴァトーレ・バーニ(30、イタリア代表41/4)ナポリ
7トーマス・ベルトルト(22、西ドイツ代表62/1)シュツットガルト
8ギャリー・リネカー(26、イングランド代表80/48)バルセロナ
9ミシェル・プラティニ(32、フランス代表72/41)引退
10ディエゴ・マラドーナ(25、アルゼンチン代表91/34)ナポリ
11パウロ・フットレ(21、ポルトガル代表41/6)アトレティコ・マドリー
12ラヨシュ・データーリ(24、ハンガリー代表61/13)フランクフルト
13イゴーエウ・ベラーノフ(26、ソ連代表33/8)ディナモ・キエフ
14ペーター・ラーション(29、スウェーデン代表47/4)アヤックス
15エルケア・ラルセン(29、デンマーク代表69/38)ヴェローナ
16アレクサンドル・ザヴァロフ(26、ソ連代表41/6)ディナモ・キエフ
17ドラガン・ストイコヴィッチ(22、ユーゴ代表84/15)クルヴェナ・ズベズダ
18アンドニ・スビサレッタ(25、スペイン代表129/0)バルセロナ
監督サー・ボビー・ロブソンCBE(54)

アイルランド代表のブレディ、マグラス、アルゼンチン代表のアルディレスが入っていますし、バルサのリネカーやスコティッシュリーグのグレアム・スーネス、レイ・ウィルキンス、テリー・ブッチャーなどが外れていますのでチームGBとは言えませんが、最もそれに近いチームだったかも知れません。

試合の方は、「神の手ゴール」のマラドーナが持つ度に大ブーイングが鳴り響く中、この試合が最後のプレーとなったプラティニが絶妙なパスを披露したものの、リーグ選抜がロブソンのヘッド(23分)とホワイトサイドのゴール(58分)で2-0と勝利しています。

百周年記念試合は、11月25日(水)にエヴァートンがドイツ王者のバイエルンを迎えて行われ、イングランド王者が3-1で勝っていますが、来季からマンチェスター・シティの指揮を執ることになった、まだ髪の黒いマーク・ヒューズがバイエルンの1点を決めています。
1912ストックホルム五輪金メダルメンバー
フォーメーション=2-3-5

GKロナルド・“ロン”・ギルクリスト・ブレブナー(1881-1914、ダーリントン生まれ=試合中の頭部負傷が原因で死亡)ハダースフィールド・タウン-レスター・フォッシー(レスター・シティの前身)、3試合

RBトーマス・クリストファー・バーン(1888-1916又は1938)3試合

LBアーサー・エガートン・ナイト(1887-1956)ポーツマス/コリンシアンズ、3試合(イングランド代表1/0)

RH/CHヘンリー・リトルウォート(1882-1934)3試合

RHダグラス・S・マクワーター(1886-1966、エリス生まれ)1試合

CHハロルド・ジャック・スタンパー(1889-1939)1試合

CHエドワード・テレンス・ハニー(1889-?)1試合

LHジョセフ・ジェームズ・ダインズ(1886-1918、キングス・リン生まれ、第一次世界大戦にて死亡)3試合

ORアーサー・ベリー(1888-1953)オックスフォード大学(イングランド代表1/0)2試合1得点

ORエドワード・ゴールデン・ダンダス・ライト(1884-1947)1試合

IRヴィヴィアン・ジョン・ウッドウォード(1879-1954、ケニントン生まれ)クラックトン・タウン、トッテナム・ホットスパー、チェルシー(イングランド代表23/29、アマチュアイングランド代表30/44・・・1906年フランス戦15-0で8ゴール)主将、3試合1得点

CFハロルド・エイドリアン・ウォルデン(1889-1955、アードウィック生まれ)ハリファックス・タウン、ブラッドフォード・シティ、アーセナル、3試合9得点

ILゴードン・ラヒア・ホーア(1884-1973、ブラックヒーズ生まれ)ウェスト・ノーウッド−ウーリッジ・ポリテクニック、ブロムリー、ウーリッジ・アーセナル、グロソップ・ノース・エンド、クイーンズ・パーク・レンジャーズ、フルアム、3試合2得点

OLアイヴァン・ゴードン・シャープ(1889-1968、セントアーバンズ生まれ)リーズ・シティ、リーズ・ユナイテッド、3試合

6月30日1回戦 7-0ハンガリー
ブレブナー:バーン、ナイト:リトルウォート、ハニー、ダインズ:ベリー、ウッドウォード、ウォルデン、ホーア、シャープ

7月2日準決勝 4-0フィンランド
ブレブナー:バーン、ナイト:リトルウォート、スタンパー、ダインズ:ライト、ウッドウォード、ウォルデン、ホーア、シャープ

7月4日決勝 4-2デンマーク
ブレブナー:バーン、ナイト:マクワーター、リトルウォート、ダインズ:ベリー、ウッドウォード、ウォルデン、ホーア、シャープ

レスター、バーミンガム、ウルブスなどフットボール・リーグのクラブに所属している選手たちは、全員アマチュア契約選手でした。
1908ロンドン五輪金メダルメンバー
フォーメーション=2-3-5

GKホーレス・ピーター・ベイリー(1881-1960、ダービー生まれ)レスター・フォッシー(レスター・シティの前身、イングランド代表5/0)3試合

RBウォルター・“ウェッティ”・サミュエル・コーベット(1880-1955、ウェリントン生まれ)バーミンガム(バーミンガム・シティの前身、イングランド代表3/0)3試合

LBハーバート・スミス(1879-1951)レディング、3試合(イングランド代表4/0)

RHケネス・レジナード・ガネリー・ハント(1884-1949、オックスフォード生まれ)レイトンFC、ウォルヴァーハンプトン・ワンダラーズ、3試合(イングランド代表2/0)

CHフレデリック・ウィリアム・チャップマン(1883-1951)3試合2得点

LHロバート・“ボブ”・マーレー・ホークス(1880-1945、ブリーチウッド・グリーン生まれ)ルートン・タウン、3試合2得点(イングランド代表5/0)

ORアーサー・ベリー(1888-1953)オックスフォード大学、3試合1得(イングランド代表1/0)

IRヴィヴィアン・ジョン・ウッドウォード(1879-1954、ケニントン生まれ)クラックトン・タウン、トッテナム・ホットスパー、チェルシー(イングランド代表23/29、アマチュアイングランド代表30/44・・・1906年フランス戦15-0で8ゴール)主将、3試合3得点

CFハロルド・“ハリー”・S・スタプリー(1883-1937、サウスボロ生まれ)3試合6得点

ILクライド・ハニセット・パーネル(1877-1934、)クラプトンFC、3試合4得点

OLハロルド・ペイン・ハードマン(1882-1965、カークマンシューム生まれ)ブラックプール、エヴァートン、マンチェスター・ユナイテッド、ブラッドフォード・シティ、ストーク・シティ、3試合(イングランド代表4/1)

10月20日1回戦 12-1スウェーデン

10月22日準決勝 4-0オランダ

10月24日決勝 2-0デンマーク
ロンドン五輪と大英代表チーム
「オリンピック本大会に出場するための予選に参加する英国のチームは、W杯と同じようにイングランド、ウェールズ、スコットランド、北アイルランドで参加するのでしょうか?」という2008/ 6/ 7 12:40 ( No.1632)のdogost97さんの投稿に対して。


dogost97さん、お久しぶりですね。


ロンドン2012のHPをみると、会場としてウェンブリー、オールド・トラフォード、ミレニアム・スタディアム(ウェールズ・カーディフ)、セント・ジェームズ・パーク、ハンプデンパーク(スコットランド・グラスゴウ)、ヴィラ・パークを予定しています。

また、FA、スコティッシュFA、アイリッシュFAがリンクされていますので、チーム・グレートブリテンの協力体制作りは進んでいるようです。フットボール・アソシエーション・オブ・ウェールズがリンクされていないのは、FAWが統一チームに反対しているからでしょう。

1908年ロンドン五輪、1912年ストックホルム五輪の金メダルチームは、全員がイングランド人でした。FIFAは五輪サッカーを現在のU-23+OA3をU-20にしようと目論んでいるようです。どんなレギュレーションになるのか分りませんが、史上初めて全英チーム(チームGB)が登場する機運はあるようです。
フリッツ・ヴァルターの語る代表選手達4
センターフォワードの話に入る前に、一度触れておきたいことがある。それは私がこの章で各ポジションについて理想的な選手の名前をある一つのやり方であげることが出来る、届く車が信じれば、それは危険だということだ。そのようなことは不可能なことなのである。理想的なフルバック、ハーフバック、インナーとは、これこれの特徴を持った選手であるということは簡単には出来ない。理想的な選手の企画といったものは存在しない。何故ならばサッカーは、チームゲームであり、従って選手を個人として取り上げ、分析することは許されないからである。選手は常にチームメイトとの関係の中でプレーしているところしか見られないものなのだ。昨日のナショナルチームにとって理想的なタイプが明日のナショナルチームにとって理想的なタイプの選手とは限らない。勿論、理想的な選手として必要な基本的な前提条件は存在する。しかしながら、この章で取り上げているような問題では、問題用紙に回答として一ダースの「Yes」をつけたからといって、それで一人の理想的な選手が出来上がるわけではないのだ。

さて、話をセンターフォワードに進めよう。このポジションは私自身、長い間プレーしてきたところだ。私は代表選手の初期のほとんどの試合をセンターフォワードとしてプレーした。ルーマニアとの国際試合で私が3点を決め、3-3で引き分けた直後に、ホムブルクでドイツ南西地域選抜対ブルテムベルクの試合が行われた。私は南西地域選抜の攻撃をリードし、エドムント・コーネンがブルテムベルクのフォワードのリーダーであった。

試合の新聞の論調は次の通りであった。「センターフォワードが試合のキーポイント。ヴァルターか、それともコーネンか?」結果は5-3でわれわれの勝利に終わった。試合の帰り、ヘルベルガー監督と私はカーザースラウテルンを経てマンハイムまで一緒に旅をした。途中、ヘルベルガー監督は私の目をじっと見ながら言った。「今日の試合でわれわれははっきり分かったはずだ。ヴァルターか、コーネンか、が問題ではなく、ヴァルターとコーネンが必要なのだ!私は君とコーネンのコンビが巧く出来上がるのを見たいだけだ!」

勿論我々ノコンビは巧くいった。こうして「ハーネマン − コーネン − ヴァルター」、又は「ハーネマン − ヴァルター − コーネン」という有名なセンター・スリーが誕生したのである。そのトリオはライプチヒで行われた態フィンランド戦で大活躍し、13-0という圧倒的な勝利を収め、ウィングはいらないといわれるような見事な攻撃を展開したのである。13点のうち12点がこのトリオによる得点であった。

私は攻撃の時は足が非常に速かった。そしてウィングのポジションにもよく出た。私の得点は一つの特徴があった。ロケットのような強烈なシュートは極めて少なく、ほとんどがエレガントな技巧的シュートによる得点であった。「こぼれ球はフリッツ・ヴァルターのもの」などと新聞に書かれたものだ。この表現は正しかった。私一人で70から80点を決めたシーズンがあったのだから。残念ながら戦争が私のセンターフォワードとしての成長をぶち壊してしまった。というのは、私が戦争から無事家に帰った時にはすでにインナーのポジションが私を待ち受けていたからである。

この当時にもう一つの素晴らしいセンター・スリーに、「ハーネマン − ヴァルター − シェーン」のトリオがある。1941年、われわれはケルンでハンガリーを7-0で打ち破った。フィールドプレーヤーの質ではハンガリーとわれわれとはほとんど同等だったのだが。しかし、ハンガリーはすぐストッパーを交替させたが、両フルバックは相変わらず外側の守備に専念していた。

従ってグラウンドの中央にはオープンスペースが生じた。私はこのスペースを徹底的に利用した。後方から送られてきたボールをこのスペースに流し、ハーネマンとシェーンがオープンスペースにダッシュし、ゴールに向かってフリーで走り込めるように、フェイントをかけながらボールを左右にさばいたのである。

私の弟のオットマールについて話をしよう。彼もまた別の一つのタイプのCFだった。彼は中央からタッチラインに走り出て、相手チームの守備陣を崩す動きが多かった。彼は勿論インナーはフリーで突っ込めるような連係プレーも出来たし、自分でシュートも出来た。彼のヘディングシュートは多分相手にとって一番危険なものだったろう。CFには他の選手を巧く生かすタイプと、自分自身で強引に得点を狙うタイプがある。オットマールはその両方を兼ね備えたCFであった。

レフトウィングは皆あまり素晴らしいプレーを見せてくれていない。彼らのほとんどは生れつきの左利きではない。ハンス・シェファーはタッチライン沿いにプレーするのを好まず、センタリングよりも常に中に切り込んでのシュートを好んだ。勿論シャファーは昔も今も危険なゴールゲッターである。

これであらゆるポジションについて語った訳だ。だが全体を語るとき、常に二、三見落としはあるものだ。しかしながら、例え理想的な選手がいなくても、自分の仕事に真剣に取り組んでいる監督諸氏は、最高の目標としての理想的なチームを作ることは可能なのである。