オーストリー人のセリエAプレーヤー、ヘルベルト・プロハスカを調べていて、昔の外国人移籍問題の記事を見つけました。今とは隔世の感がありますが、リーグと協会、クラブとナショナル・チームの関係が、いつの時代も大きな関心事である事は変わりありません。
今やUEFAクラブのチーム・スクウォッドは16ヶ国などという事も当たり前になっていますが、プロハスカがインテルに移籍する前の79/80シーズンまで、セリエAでは外人選手の輸入禁止が続いていました(北朝鮮に敗れた66年イングランドW杯の前年以降)。
次の記事は、イレブン1980年4月号のものです。
『外人選手“輸入”再開禁止に。1、2部36チームの会長による投票の結果、外人選手に対する門戸は開放されないこととなった。UEFA会長を重任するイタリア協会のフランキ会長は、EUの原則=域内自由就労)からすると、72人の外人枠を設ける事が望ましいと、提案したものの否決されてしまった。』
ルイス・スアレス(スペイン)、ジャイール・ダ・コスタ(ブラジル)、ホルスト・スジマニアク(西ドイツ)、ホアキン・ペイロ・ルーカス(スペイン)といった外国人を擁して、インテルを欧州王者に2年連続で導いたエレニオ・エレラ元監督のコメント。「投票の結果は馬鹿げている。何故かって?プレーが駄目で、見せ場はない。得点も少ない。欧州カップでは負けてばかり。これでよく外人反対なんて言えたものだ。外人選手は獲得すべきだよ。」
投票の内訳は、
賛成4=ユーヴェ、ミラン、ナポリ、ウディネーゼ
反対24=ボローニャ、カリアリ、フィオレンツィーナ、トリノ、ラツィオ、ペルージャ他18
棄権3=インテル、ローマ、バリ
欠席5=アスコリ、アヴェッリーノ、カタンツァロ、ペスカラ、他1
解禁後の80/81以降、ユーヴェはプラティニ、ボニエク、ウディネーゼはジーコ、遅れてミランはオランダトリオ、ナポリはマラドーナ、カレッカを獲得しますが、恩恵を受けたこれらのチームは、やはりこの時から解禁積極派だったことが分ります。
今やUEFAクラブのチーム・スクウォッドは16ヶ国などという事も当たり前になっていますが、プロハスカがインテルに移籍する前の79/80シーズンまで、セリエAでは外人選手の輸入禁止が続いていました(北朝鮮に敗れた66年イングランドW杯の前年以降)。
次の記事は、イレブン1980年4月号のものです。
『外人選手“輸入”再開禁止に。1、2部36チームの会長による投票の結果、外人選手に対する門戸は開放されないこととなった。UEFA会長を重任するイタリア協会のフランキ会長は、EUの原則=域内自由就労)からすると、72人の外人枠を設ける事が望ましいと、提案したものの否決されてしまった。』
ルイス・スアレス(スペイン)、ジャイール・ダ・コスタ(ブラジル)、ホルスト・スジマニアク(西ドイツ)、ホアキン・ペイロ・ルーカス(スペイン)といった外国人を擁して、インテルを欧州王者に2年連続で導いたエレニオ・エレラ元監督のコメント。「投票の結果は馬鹿げている。何故かって?プレーが駄目で、見せ場はない。得点も少ない。欧州カップでは負けてばかり。これでよく外人反対なんて言えたものだ。外人選手は獲得すべきだよ。」
投票の内訳は、
賛成4=ユーヴェ、ミラン、ナポリ、ウディネーゼ
反対24=ボローニャ、カリアリ、フィオレンツィーナ、トリノ、ラツィオ、ペルージャ他18
棄権3=インテル、ローマ、バリ
欠席5=アスコリ、アヴェッリーノ、カタンツァロ、ペスカラ、他1
解禁後の80/81以降、ユーヴェはプラティニ、ボニエク、ウディネーゼはジーコ、遅れてミランはオランダトリオ、ナポリはマラドーナ、カレッカを獲得しますが、恩恵を受けたこれらのチームは、やはりこの時から解禁積極派だったことが分ります。
プラティニ(30…85/9/8現在)、ラウドルップ(21)のユーヴェが優勝した85/86と、マラドーナ(26・・・86/9/14現在)のナポリが優勝した86/87シーズンの移籍市場の動きは少なく、大きく動いたのは87/88。
このシーズンは、ルート・フリット(26…87/9/13現在、オランダ)、マルコ・ファンバステン(22、オランダ)が加入したミランが9年振り11度目の優勝(フリットは87年、ファンバステンは88年バロンドール受賞)を飾りましたがそれ以外のチームも、
ユーヴェ=イアン・ラッシュ(25、ウェールズ)
ナポリ=アントニオ・デ・オリヴェイラ・フィーリョ・”カレッカ”(26、ブラジル)
ローマ=ルドルフ・”ルディ”・フェラー(27、西ドイツ)
インテル=ビンチェンツォ・”エンツォ”・シーフォ(21、ベルギー)
ヘラス・ヴェローナ=トーマス・ベルトルト(22、西ドイツ)
ピサ=カルロス・カエタノ・ブレドルン・ヴェッリ・”ドゥンガ”(23、ブラジル)
ポール・エリオット(23、イングランド)
アスコリ=ワルテル・カーサグランジ・ジュニオール(24、ブラジル)
ウーゴ・エルナン・マラドーナ(18、アルゼンチン)
フィオレンティーナ=グレン・ヒーセン(27、スウェーデン)
トリノ=アントン・”トニ”・ポルスター(23、オーストリー)
アヴェッリーノ=ニコラス・アナストプーロス(29、ギリシャ)
チェゼーナ=ダヴォール・ヨジッチ(27、ユーゴスラヴィア)
ペスカラ=ブラズ・スリスコヴィッチ(28、ユーゴスラヴィア)
など代表選手が目白押しで、翌88/89と合わせた90年イタリアW杯開催準備の進むこの第3期は、カルチョが世界のサッカー界の中心となった時代といえると思います。
88/89はフランク・ライカールト(26…88/10/9現在)がミランに加わり、オランダトリオが揃います(ファンバステンは89年バロンドール連続受賞)。ライヴァル、ナポリにはアレモン(26、ブラジル)が入りそれぞれ中盤のダイナモが揃いましたが、覇権を握ったのは意外にもインテル。ローター・マテウス(27、西ドイツ)、アンドレアス・ブレーメ(27、西ドイツ)のバイエルンコンビを補強し、9シーズン振り14回目の優勝(05/06の繰り上げ優勝はこの時以来久々のものでした)を飾ります。
ユーヴェはルイ・バロシュ(22、ポルトガル)とアレクサンドル・ザバロフ(27、ソ連)という渋めのチョイスで4位、以下
トリノ=ルイス・アントニオ・コレア・ダ・コスタ・”ミュレル”(22、ブラジル)
エドゥアルド・マランゴン・”エドゥー”(25、ブラジル)
ハリス・スコロ(26、ユーゴスラヴィア)
ラツィオ=ルーベン・ソサ・アルダイス(22、ウルグアイ)
グスタボ・アベル・デソッティ(24、アルゼンチン)
ネルソン・ダニエル・グチェレス・ルオンゴ(26、ウルグアイ)
ローマ=ジョルジェ・ルイス・アンドラーデ・ダ・シウヴァ(31、ブラジル)
レナト・ガウショ(26、ブラジル)
ヘラス・ヴェローナ=クラウディオ・パウル・カニーヒア(21、アルゼンチン)
ペドロ・アントニオ・トログリオ(23、アルゼンチン)
アタランタ=パウリーノ・アパレシド・”エバイール”(23、ブラジル)
ロベルト・プリッツ(28、スウェーデン)
サンプドリア=ビクトル・ムニョス・マンリケ(31、スペイン)
ボローニャ=シュテファン・デモル(22、ベルギー)
ミカ・アルトネン(22、フィンランド)
ウーゴ・エドゥアルド・ルビオ(28、チリ)
ペスカラ=ミウトン・ケイロス・ダ・パイション・”チッタ”(30、ブラジル)
エジマール・ベルナルデス・ドス・サントス(28、ブラジル)
アスコリ=ムスタファ・アルスラノヴィッチ(28、ユーゴスラヴィア)
ボリスラフ・ヴェトコヴィッチ(26、ユーゴスラヴィア)
チェゼーナ=ハンス・ホルムクヴィスト(28、スウェーデン)
コモ=ルイス・ミウトン・デ・ソウザ・フィーリョ(26、ブラジル)
レッチェ=イシュトヴァーン・”ピル”・ヴィンツェ(21、ハンガリー)
等。
89/90は
ユーヴェ=セルゲイ・アレイニコフ(27…89/9/27現在、ソ連)
インテル=ユルゲン・クリンスマン(25、西ドイツ)
ウディネーゼ=アベル・エドゥアルド・バルボ(23、アルゼンチン)
ロベルト・ネストル・センシーニ(22、アルゼンチン)
リカルド・ガジェゴ・レドンド(30、スペイン)
ジェノア=ルーベン・ワルテル・マルケス・パス(30、ウルグアイ)
カルロス・アルベルト・アギレラ・ノバ(25、ウルグアイ)
ホセ・バトレ・ペルドモ・テクセイラ(24、ウルグアイ)
ボローニャ=ヘルベルト・ヴァース(26、西ドイツ)
ニコライ・ステファノフ・イリエフ(25、ブルガリア)
ジェオヴァニ・シウヴァ(25、ブラジル)
サンプドリア=スレツコ・カタネッツ(26、ユーゴスラヴィア)
クレモネーゼ=アンデルス・リンパル(24、スウェーデン)
グスタボ・アルフレド・ネファ・ロドリゲス(18、パラグアイ)
フィオレンティーナ=ルボシュ・クビーク(25、チェコスロヴァキア)
オスカル・アルベルト・デルティシア(24、アルゼンチン)
バーリ=カンジド・デ・パウラ・”ジェルソン”(22、ブラジル)
セルジオ・ドニゼッチ・ルイス・”ジョアン・パウロ”(25、ブラジル)
ネストル・ガブリエル・ロレンソ(23、アルゼンチン)
チェゼーナ=ブラディスラフ・ジュキッチ(27、ユーゴスラヴィア)
ヘラス・ヴェローナ=ビクトル・ソトマヨル(21、アルゼンチン)
ラツィオ=アマリウド・ソウザ・ド・アマラウ(24、ブラジル)
等各国の代表が揃う中、新規加入のなかったナポリ(マラドーナ、カレッカ、アレモン)が優勝、ミランが2位という結果でした。
マラドーナのイタリアでの戦績は8シーズン186試合83得点、マテウスは4シーズン115試合40点、フリットは9シーズン176試合62点、ファンバステンは8(実質は6)シーズン147試合91点、ライカールト5シーズン142試合16点でした。ファンバステンの怪我による引退がきっかけとなり、背後からのタックルが全面的にファールとなったのは記憶に新しいところです(AFCでは残念ながらまだ容認されているようですが…)。
この第3期の頃は日本もバブル絶頂期でしたが(確か、クラブはまだディスコと云っていましたか?)、セリエAも本当に華やかでしたね。
このシーズンは、ルート・フリット(26…87/9/13現在、オランダ)、マルコ・ファンバステン(22、オランダ)が加入したミランが9年振り11度目の優勝(フリットは87年、ファンバステンは88年バロンドール受賞)を飾りましたがそれ以外のチームも、
ユーヴェ=イアン・ラッシュ(25、ウェールズ)
ナポリ=アントニオ・デ・オリヴェイラ・フィーリョ・”カレッカ”(26、ブラジル)
ローマ=ルドルフ・”ルディ”・フェラー(27、西ドイツ)
インテル=ビンチェンツォ・”エンツォ”・シーフォ(21、ベルギー)
ヘラス・ヴェローナ=トーマス・ベルトルト(22、西ドイツ)
ピサ=カルロス・カエタノ・ブレドルン・ヴェッリ・”ドゥンガ”(23、ブラジル)
ポール・エリオット(23、イングランド)
アスコリ=ワルテル・カーサグランジ・ジュニオール(24、ブラジル)
ウーゴ・エルナン・マラドーナ(18、アルゼンチン)
フィオレンティーナ=グレン・ヒーセン(27、スウェーデン)
トリノ=アントン・”トニ”・ポルスター(23、オーストリー)
アヴェッリーノ=ニコラス・アナストプーロス(29、ギリシャ)
チェゼーナ=ダヴォール・ヨジッチ(27、ユーゴスラヴィア)
ペスカラ=ブラズ・スリスコヴィッチ(28、ユーゴスラヴィア)
など代表選手が目白押しで、翌88/89と合わせた90年イタリアW杯開催準備の進むこの第3期は、カルチョが世界のサッカー界の中心となった時代といえると思います。
88/89はフランク・ライカールト(26…88/10/9現在)がミランに加わり、オランダトリオが揃います(ファンバステンは89年バロンドール連続受賞)。ライヴァル、ナポリにはアレモン(26、ブラジル)が入りそれぞれ中盤のダイナモが揃いましたが、覇権を握ったのは意外にもインテル。ローター・マテウス(27、西ドイツ)、アンドレアス・ブレーメ(27、西ドイツ)のバイエルンコンビを補強し、9シーズン振り14回目の優勝(05/06の繰り上げ優勝はこの時以来久々のものでした)を飾ります。
ユーヴェはルイ・バロシュ(22、ポルトガル)とアレクサンドル・ザバロフ(27、ソ連)という渋めのチョイスで4位、以下
トリノ=ルイス・アントニオ・コレア・ダ・コスタ・”ミュレル”(22、ブラジル)
エドゥアルド・マランゴン・”エドゥー”(25、ブラジル)
ハリス・スコロ(26、ユーゴスラヴィア)
ラツィオ=ルーベン・ソサ・アルダイス(22、ウルグアイ)
グスタボ・アベル・デソッティ(24、アルゼンチン)
ネルソン・ダニエル・グチェレス・ルオンゴ(26、ウルグアイ)
ローマ=ジョルジェ・ルイス・アンドラーデ・ダ・シウヴァ(31、ブラジル)
レナト・ガウショ(26、ブラジル)
ヘラス・ヴェローナ=クラウディオ・パウル・カニーヒア(21、アルゼンチン)
ペドロ・アントニオ・トログリオ(23、アルゼンチン)
アタランタ=パウリーノ・アパレシド・”エバイール”(23、ブラジル)
ロベルト・プリッツ(28、スウェーデン)
サンプドリア=ビクトル・ムニョス・マンリケ(31、スペイン)
ボローニャ=シュテファン・デモル(22、ベルギー)
ミカ・アルトネン(22、フィンランド)
ウーゴ・エドゥアルド・ルビオ(28、チリ)
ペスカラ=ミウトン・ケイロス・ダ・パイション・”チッタ”(30、ブラジル)
エジマール・ベルナルデス・ドス・サントス(28、ブラジル)
アスコリ=ムスタファ・アルスラノヴィッチ(28、ユーゴスラヴィア)
ボリスラフ・ヴェトコヴィッチ(26、ユーゴスラヴィア)
チェゼーナ=ハンス・ホルムクヴィスト(28、スウェーデン)
コモ=ルイス・ミウトン・デ・ソウザ・フィーリョ(26、ブラジル)
レッチェ=イシュトヴァーン・”ピル”・ヴィンツェ(21、ハンガリー)
等。
89/90は
ユーヴェ=セルゲイ・アレイニコフ(27…89/9/27現在、ソ連)
インテル=ユルゲン・クリンスマン(25、西ドイツ)
ウディネーゼ=アベル・エドゥアルド・バルボ(23、アルゼンチン)
ロベルト・ネストル・センシーニ(22、アルゼンチン)
リカルド・ガジェゴ・レドンド(30、スペイン)
ジェノア=ルーベン・ワルテル・マルケス・パス(30、ウルグアイ)
カルロス・アルベルト・アギレラ・ノバ(25、ウルグアイ)
ホセ・バトレ・ペルドモ・テクセイラ(24、ウルグアイ)
ボローニャ=ヘルベルト・ヴァース(26、西ドイツ)
ニコライ・ステファノフ・イリエフ(25、ブルガリア)
ジェオヴァニ・シウヴァ(25、ブラジル)
サンプドリア=スレツコ・カタネッツ(26、ユーゴスラヴィア)
クレモネーゼ=アンデルス・リンパル(24、スウェーデン)
グスタボ・アルフレド・ネファ・ロドリゲス(18、パラグアイ)
フィオレンティーナ=ルボシュ・クビーク(25、チェコスロヴァキア)
オスカル・アルベルト・デルティシア(24、アルゼンチン)
バーリ=カンジド・デ・パウラ・”ジェルソン”(22、ブラジル)
セルジオ・ドニゼッチ・ルイス・”ジョアン・パウロ”(25、ブラジル)
ネストル・ガブリエル・ロレンソ(23、アルゼンチン)
チェゼーナ=ブラディスラフ・ジュキッチ(27、ユーゴスラヴィア)
ヘラス・ヴェローナ=ビクトル・ソトマヨル(21、アルゼンチン)
ラツィオ=アマリウド・ソウザ・ド・アマラウ(24、ブラジル)
等各国の代表が揃う中、新規加入のなかったナポリ(マラドーナ、カレッカ、アレモン)が優勝、ミランが2位という結果でした。
マラドーナのイタリアでの戦績は8シーズン186試合83得点、マテウスは4シーズン115試合40点、フリットは9シーズン176試合62点、ファンバステンは8(実質は6)シーズン147試合91点、ライカールト5シーズン142試合16点でした。ファンバステンの怪我による引退がきっかけとなり、背後からのタックルが全面的にファールとなったのは記憶に新しいところです(AFCでは残念ながらまだ容認されているようですが…)。
この第3期の頃は日本もバブル絶頂期でしたが(確か、クラブはまだディスコと云っていましたか?)、セリエAも本当に華やかでしたね。
82年スペインW杯で活躍したミシェル・プラティニ(27、フランス)、ズビグニェフ・ボニエク(26、ポーランド)がユヴェントゥスに同時に加入した82/83シーズンが第2期外国人時代の始まりで、スーパースターを複数揃えて成功した最初のチームがユーヴェでした。
このシーズンの他チームの新加入は、
インテル=ハンス−ペーター・”ハンジ”・ミュラー(28、西ドイツ)
ヘラス・ヴェローナ=ブラディスラフ・ズムダ(28、ポーランド)、
ジョゼ・ギマリャンエス・ディルセウ(30、ブラジル)
フィオレンティーナ=ダニエル・パサレラ(29、アルゼンチン)
ウディネーゼ=イビツァ・”イヴォ”・シュリアク(29、ユーゴスラヴィア)、
エジーニョ・ナザレス・フィーリョ(27、ブラジル)
サンプドリア=トレバー・ジョン・フランシス(28、イングランド)
トリノ=パトリシオ・ホセ・エルナンデス(26、アルゼンチン)
アヴェッリーノ=ヘロニモ・バルバディージョ・ゴンサーレス(27、ペルー)、
セーレン・スコヴ(27、デンマーク)
ナポリ=ラモン・アンヘル・ディアス(23、アルゼンチン)
ピサ=ホルヘ・ワシントン・カラバージョ(23、ウルグアイ)
クラウス・ベアグレン(25、デンマーク)
ジェノア=ヨハネス・”ヤン"・ペータース(28、オランダ)、
レネ・ヴァンデレイケン(29、ベルギー)
カリアリ=ワルデマール・ヴィクトリーノ(30、ウルグアイ)
フリオ・ウリベ(24、ペルー)
チェセーナ=ヴァルター・シャヒナー(25、オーストリー)…81/82セリエB時代から加入
カタンツァロ=ヴィオレル・ナスターゼ(28、ルーマニア)
等(優勝はファルカンのASローマ)。
翌83/84は
ローマ=トニーニョ・セレゾ(28、ブラジル)
インテル=ルド・コエック(27、ベルギー)
ミラン=エリック・ゲレツ(29、ベルギー)、
ルサー・ロイド・ブリセット(25、イングランド)
ラツィオ=ミカエル・ラウドルップ(19、デンマーク)、
ジョアン・バチスタ・ダ・シウヴァ(28、ブラジル)
ピサ=ウィム・キーフト(20、オランダ)
カターニャ=ペドロ・ルイス・ヴィセンソチ・”ペドリーニョ”(25、ブラジル)
ルヴァノール・ドニゼッチ・ボルジェス(22、ブラジル)
等が新加入ですが、なんといってもこのシーズンはジーコ(30、ブラジル)のウディネーゼ入りが最大のトピックでしょう。
ジーコはシーズン19得点で、20得点のプラティニに次いで2位となり、セリエA初登場選手最多得点の記録を作りました(優勝はプラティニ、ボニエクのユーヴェで、プラティニは82/83、83/84、84/85シーズン連続得点王で83、84、85年バロンドールを3年連続受賞)。
84/85もまたメモラブルなシーズンで、まずプレベン・エルケア-ラルセン(27、デンマーク)とハンス-ペーター・ブリーゲル(28、西ドイツ)が加入したヘラス・ヴェローナのクラブ史上初となる優勝です。07/08現在セリエC1所属の、このプロビンツァのいきなりの優勝は、各クラブの新外国人の獲得に更なる拍車をかける事になります。
そして何と云ってもディエゴ・アルマンド・マラドーナ(23、アルゼンチン)のナポリ入りがこの年。SSCナポリは王様の帰還により(マラドーナの祖父母がナポリ出身)、クラブ史上最も幸せな5年間を迎える事になります。足の骨折等良い思いでのないバルサでの2年間の後本来の力を存分に発揮し始めたマラドーナの影響は絶大で、このシーズンは8位に終わったものの翌シーズンからは、3位、優勝、2位、2位、優勝という群を抜くものでした。
またソクラテス(30、ブラジル)がフィオレンティーナに入り(1シーズンだけ)、クワトロ・オーメン・ジ・オロ(黄金の4人)が全員セリエAに揃ったのもこのシーズン。
他にも
トリノ=ジュニオール(30、ブラジル)
インテル=カールハインツ・ルンメニゲ(28、西ドイツ)
サンプドリア=グレアム・スーネス(31、スコットランド)
ミラン=レイ・ウィルキンス(28、イングランド)
マーク・ウェイン・ヘイトリー(22、イングランド)
アタランタ=グレン・ストロンベリ(24、ウェーデン)
ラルス・ラーション(22、スウェーデン)
コモ=ダン・コルネリューソン(22、スウェーデン)
といったところが新加入です。
スウェーデン選手が多いのは第2次世界大戦後からのセリエAの特徴で、50年代ACミランの中心で、ノルマンディー上陸作戦勝利の行進曲『グレゴリー・マーチ』になぞられた“グレ・ノ・リ”と呼ばれたグンナー・グレン、グンナー・ノルダール、ニルス・リードホルムや61年フィオレンチーナ、66年ACミランのカップウィナーズカップ優勝に貢献したストライカー、クルト・ハムリンが有名ですね。
このシーズンの他チームの新加入は、
インテル=ハンス−ペーター・”ハンジ”・ミュラー(28、西ドイツ)
ヘラス・ヴェローナ=ブラディスラフ・ズムダ(28、ポーランド)、
ジョゼ・ギマリャンエス・ディルセウ(30、ブラジル)
フィオレンティーナ=ダニエル・パサレラ(29、アルゼンチン)
ウディネーゼ=イビツァ・”イヴォ”・シュリアク(29、ユーゴスラヴィア)、
エジーニョ・ナザレス・フィーリョ(27、ブラジル)
サンプドリア=トレバー・ジョン・フランシス(28、イングランド)
トリノ=パトリシオ・ホセ・エルナンデス(26、アルゼンチン)
アヴェッリーノ=ヘロニモ・バルバディージョ・ゴンサーレス(27、ペルー)、
セーレン・スコヴ(27、デンマーク)
ナポリ=ラモン・アンヘル・ディアス(23、アルゼンチン)
ピサ=ホルヘ・ワシントン・カラバージョ(23、ウルグアイ)
クラウス・ベアグレン(25、デンマーク)
ジェノア=ヨハネス・”ヤン"・ペータース(28、オランダ)、
レネ・ヴァンデレイケン(29、ベルギー)
カリアリ=ワルデマール・ヴィクトリーノ(30、ウルグアイ)
フリオ・ウリベ(24、ペルー)
チェセーナ=ヴァルター・シャヒナー(25、オーストリー)…81/82セリエB時代から加入
カタンツァロ=ヴィオレル・ナスターゼ(28、ルーマニア)
等(優勝はファルカンのASローマ)。
翌83/84は
ローマ=トニーニョ・セレゾ(28、ブラジル)
インテル=ルド・コエック(27、ベルギー)
ミラン=エリック・ゲレツ(29、ベルギー)、
ルサー・ロイド・ブリセット(25、イングランド)
ラツィオ=ミカエル・ラウドルップ(19、デンマーク)、
ジョアン・バチスタ・ダ・シウヴァ(28、ブラジル)
ピサ=ウィム・キーフト(20、オランダ)
カターニャ=ペドロ・ルイス・ヴィセンソチ・”ペドリーニョ”(25、ブラジル)
ルヴァノール・ドニゼッチ・ボルジェス(22、ブラジル)
等が新加入ですが、なんといってもこのシーズンはジーコ(30、ブラジル)のウディネーゼ入りが最大のトピックでしょう。
ジーコはシーズン19得点で、20得点のプラティニに次いで2位となり、セリエA初登場選手最多得点の記録を作りました(優勝はプラティニ、ボニエクのユーヴェで、プラティニは82/83、83/84、84/85シーズン連続得点王で83、84、85年バロンドールを3年連続受賞)。
84/85もまたメモラブルなシーズンで、まずプレベン・エルケア-ラルセン(27、デンマーク)とハンス-ペーター・ブリーゲル(28、西ドイツ)が加入したヘラス・ヴェローナのクラブ史上初となる優勝です。07/08現在セリエC1所属の、このプロビンツァのいきなりの優勝は、各クラブの新外国人の獲得に更なる拍車をかける事になります。
そして何と云ってもディエゴ・アルマンド・マラドーナ(23、アルゼンチン)のナポリ入りがこの年。SSCナポリは王様の帰還により(マラドーナの祖父母がナポリ出身)、クラブ史上最も幸せな5年間を迎える事になります。足の骨折等良い思いでのないバルサでの2年間の後本来の力を存分に発揮し始めたマラドーナの影響は絶大で、このシーズンは8位に終わったものの翌シーズンからは、3位、優勝、2位、2位、優勝という群を抜くものでした。
またソクラテス(30、ブラジル)がフィオレンティーナに入り(1シーズンだけ)、クワトロ・オーメン・ジ・オロ(黄金の4人)が全員セリエAに揃ったのもこのシーズン。
他にも
トリノ=ジュニオール(30、ブラジル)
インテル=カールハインツ・ルンメニゲ(28、西ドイツ)
サンプドリア=グレアム・スーネス(31、スコットランド)
ミラン=レイ・ウィルキンス(28、イングランド)
マーク・ウェイン・ヘイトリー(22、イングランド)
アタランタ=グレン・ストロンベリ(24、ウェーデン)
ラルス・ラーション(22、スウェーデン)
コモ=ダン・コルネリューソン(22、スウェーデン)
といったところが新加入です。
スウェーデン選手が多いのは第2次世界大戦後からのセリエAの特徴で、50年代ACミランの中心で、ノルマンディー上陸作戦勝利の行進曲『グレゴリー・マーチ』になぞられた“グレ・ノ・リ”と呼ばれたグンナー・グレン、グンナー・ノルダール、ニルス・リードホルムや61年フィオレンチーナ、66年ACミランのカップウィナーズカップ優勝に貢献したストライカー、クルト・ハムリンが有名ですね。
『80年代後半のセリエAは…マラドーナ、マテウス、オランダ勢(フリット、ファンバステン、ライカールト)が大活躍だったでしょうか。』というtutyy2002さんの、2004/10/23 23:30の投稿に対して。
正にその通りだったと思います。
セリエAは国内選手育成を目的に65年から鎖国政策を取っていましたが、80/81に緩和され外国人枠は各チーム1人、82/83から2人、88/89から3人枠となります。そしてボスマン判決によりEC内フリーとなった96/97からは現在の、各国リーグとも同じような状態になりました。ですから80年代後半は特に、外国人スーパースターがこぞってイタリアを目指した訳で、彼らの競演の時代だったといえると思います。
80/81、81/82シーズンは初期輸入時代で、80年に移籍して来た“ローマの鷹”・ファルカン(26、ブラジル)はいわば『最初の助っ人』ですね。
パイオニアは他に、
ユーヴェ=リアム・ブレディ(24、アイルランド)
ナポリ=ルート・クロル(31、オランダ)
インテル=ヘルベルト・プロハスカ(25、オーストリー)
ボローニャ=エネアス(26、ブラジル)
フィオレンツィーナ=ダニエル・ベルトーニ(25、アルゼンチン)
アヴェリノ=ジュアリ(21、ブラジル)…その後インテル、アスコリ、クレモネーゼを経て85/89からポルトに所属し、87年チャンピオンズカップ決勝でバイエルン相手に決勝ゴールを記録することになります。
トリノ=ミシェル・ファン・デ・コルプト(23、オランダ)
ウディネーゼ=ヘルベルト・ノイマン(26、西ドイツ)
ペルージャ=エリオ・セルヒオ・フォルツナート(23、アルゼンチン)
ピストイエーゼ=ダヌエロ・ルイス・シルヴィオ(20、ブラジル)
といった面々でした。
78年W杯で活躍のオーストリア勢が目立ちますね。個人的にはケルンから移籍のノイマンが興味を引きます。ノイマンは翌シーズンをボローニャで20試合をプレーし、82/83シーズンにはケルンにカムバックしますがリヌス・ミケルス監督に10試合しか起用されず、翌年ギリシャのオリンピアコスに移籍。しかしここでも水が合わなかったのか、次のシーズンはなんとスイス2部のシアッソというチームに行き、5季を過ごし引退しています。
ギュンター・ネッツァーを始め、カール−ハインツ・ルンメニゲ、ハンジ・ミュラー、ウルリッヒ・シュティーリケなど、スイスでシューズを脱ぐドイツ人は結構いますね。
尚、ACミランはこの時セリエBでしたので、外国人獲得は翌81/82シーズンにジョー・ジョーダン(29、スコットランド)をマン・Uから迎えています。
正にその通りだったと思います。
セリエAは国内選手育成を目的に65年から鎖国政策を取っていましたが、80/81に緩和され外国人枠は各チーム1人、82/83から2人、88/89から3人枠となります。そしてボスマン判決によりEC内フリーとなった96/97からは現在の、各国リーグとも同じような状態になりました。ですから80年代後半は特に、外国人スーパースターがこぞってイタリアを目指した訳で、彼らの競演の時代だったといえると思います。
80/81、81/82シーズンは初期輸入時代で、80年に移籍して来た“ローマの鷹”・ファルカン(26、ブラジル)はいわば『最初の助っ人』ですね。
パイオニアは他に、
ユーヴェ=リアム・ブレディ(24、アイルランド)
ナポリ=ルート・クロル(31、オランダ)
インテル=ヘルベルト・プロハスカ(25、オーストリー)
ボローニャ=エネアス(26、ブラジル)
フィオレンツィーナ=ダニエル・ベルトーニ(25、アルゼンチン)
アヴェリノ=ジュアリ(21、ブラジル)…その後インテル、アスコリ、クレモネーゼを経て85/89からポルトに所属し、87年チャンピオンズカップ決勝でバイエルン相手に決勝ゴールを記録することになります。
トリノ=ミシェル・ファン・デ・コルプト(23、オランダ)
ウディネーゼ=ヘルベルト・ノイマン(26、西ドイツ)
ペルージャ=エリオ・セルヒオ・フォルツナート(23、アルゼンチン)
ピストイエーゼ=ダヌエロ・ルイス・シルヴィオ(20、ブラジル)
といった面々でした。
78年W杯で活躍のオーストリア勢が目立ちますね。個人的にはケルンから移籍のノイマンが興味を引きます。ノイマンは翌シーズンをボローニャで20試合をプレーし、82/83シーズンにはケルンにカムバックしますがリヌス・ミケルス監督に10試合しか起用されず、翌年ギリシャのオリンピアコスに移籍。しかしここでも水が合わなかったのか、次のシーズンはなんとスイス2部のシアッソというチームに行き、5季を過ごし引退しています。
ギュンター・ネッツァーを始め、カール−ハインツ・ルンメニゲ、ハンジ・ミュラー、ウルリッヒ・シュティーリケなど、スイスでシューズを脱ぐドイツ人は結構いますね。
尚、ACミランはこの時セリエBでしたので、外国人獲得は翌81/82シーズンにジョー・ジョーダン(29、スコットランド)をマン・Uから迎えています。
『そういえば先日JSVから発売されているユヴェントスのDVDを購入して見ました。その中の70’sを見ていたところヘルムート・ハーラーのプレーを初めて見ることができました。シヴォリがうまいのはすでに他のビデオで少し見ていたので「やっぱりうまいな〜」といった感じで見ていましたが、ハーラーも噂に違わぬファンタジスタでしたね。あのずんぐりした体型なのに繊細かつ超高速のボールタッチはガッザと何かかぶるものがありました。あとはベッテガやプラティニもまたたっぷり見ることができましたし、77’のカップウイナーズカップ決勝のVSアスレティック・ビルバオ戦のダイジェストなどもありとても内容の濃いものでした。』という、2003/ 7/17 13:25のB__Robson さんの投稿に対して。
いつの時代もユーヴェは強いですが(今シーズンも!02/03シーズンは、2位のインテルに7ポイントの差をつけ、27度目のスクデットを獲得)、70年代はそのままアズーリという印象ですね。
ディノ・ゾフ、アントニオ・カブリーニ、アントネロ・ククレドゥ、クラウディオ・ジェンティーレ、アルド・マルデラ、ガエタノ・シレア、ロメオ・ベネッティ、マルコ・タルデッリ、フランコ・カウジオ、ロベルト・ベッティガ。実に10名がW杯78アルゼンチン大会の代表でした。ビチェンツァのパオロ・ロッシも支配下選手でしたから11人!こんなチームはウクライナのディナモ・キエフ以外にはないでしょう。
PS.ヘルムート・ハーラーは外国人輸入禁止前の最後のスターですね。解禁後の最初の選手はミシェル・プラティニとズビグニェフ・ボニエクですね。
ヘルムート・ハーラーは、実は私も最近気になっている選手なのです。
元来G・ミュラーファンでサッカーにのめり込んだ私にとって、ゲルトをこき使うフランツ・ベッケンバウアーは最高の存在でした(。モチロン得点する事に関しては我が愛すべきゲルハルトを超える選手はいませんが)。従ってスター選手は、フランツを超える選手でなければ認めない、という厳しい目で評価するくせがついてしまいました。
そんなフランツを差し置いて、60年代西ドイツ最高のテクニシャンの座はヘルムート・ハーラーのものです。62年チリ大会の活躍で、アウグスブルクからボローニャに移籍し、68年から5シーズンユーヴェの中盤に君臨し、2度のセリエA優勝に貢献しました。
そうですか、イメージはガッザなのですね。73年CL決勝アヤックス1-0ユーヴェで63分ベッティガに代わって出場していますから、ビデオが来たら見ることが出来るかもしれません、楽しみです。
いつの時代もユーヴェは強いですが(今シーズンも!02/03シーズンは、2位のインテルに7ポイントの差をつけ、27度目のスクデットを獲得)、70年代はそのままアズーリという印象ですね。
ディノ・ゾフ、アントニオ・カブリーニ、アントネロ・ククレドゥ、クラウディオ・ジェンティーレ、アルド・マルデラ、ガエタノ・シレア、ロメオ・ベネッティ、マルコ・タルデッリ、フランコ・カウジオ、ロベルト・ベッティガ。実に10名がW杯78アルゼンチン大会の代表でした。ビチェンツァのパオロ・ロッシも支配下選手でしたから11人!こんなチームはウクライナのディナモ・キエフ以外にはないでしょう。
PS.ヘルムート・ハーラーは外国人輸入禁止前の最後のスターですね。解禁後の最初の選手はミシェル・プラティニとズビグニェフ・ボニエクですね。
ヘルムート・ハーラーは、実は私も最近気になっている選手なのです。
元来G・ミュラーファンでサッカーにのめり込んだ私にとって、ゲルトをこき使うフランツ・ベッケンバウアーは最高の存在でした(。モチロン得点する事に関しては我が愛すべきゲルハルトを超える選手はいませんが)。従ってスター選手は、フランツを超える選手でなければ認めない、という厳しい目で評価するくせがついてしまいました。
そんなフランツを差し置いて、60年代西ドイツ最高のテクニシャンの座はヘルムート・ハーラーのものです。62年チリ大会の活躍で、アウグスブルクからボローニャに移籍し、68年から5シーズンユーヴェの中盤に君臨し、2度のセリエA優勝に貢献しました。
そうですか、イメージはガッザなのですね。73年CL決勝アヤックス1-0ユーヴェで63分ベッティガに代わって出場していますから、ビデオが来たら見ることが出来るかもしれません、楽しみです。


