オールドサッカーフリーク
「オールドサッカーについて語りませんか?(復刻版)」というヤフー掲示板に投稿を始めて8年になる者です。過去の投稿内容を中心に記録したいと思います。
U-20W杯出場ならず(No.1734)
Uー19日本代表が、サウジ・アラビアで開催中のアジアU-20選手権準々決勝で韓国U-19代表に0-3と完敗し、来年のU-20W杯出場を逃しました。誠に残念です。

日本はこのカテゴリーでは強く、7大会連続で世界の舞台を踏んでいましたし、この大会の世代は2年前のU-17アジア・チャンピオンでMVPを受賞した柿谷曜一朗の世代が中心でしたので、この敗戦のショックは計り知れません。

マラドーナの大会として歴史に残る1979年の第2回ワールドユース(当時の名称)に、日本は大会開催国として初出場をしましたが、その後アジアの壁を破ることは出来ず、中田英寿が登場する1995年カタール大会が実質初出場で、その後出場を逃したことはありませんでした。

最後に日本がワールドユース出場を阻まれたアジアユース選手権は、92年第28回アジアユース・ドバイ大会でした。この時の主要メンバーは、

 GK川口能活(清水商)
 DF白井博幸(東海一高)
 MF山口貴之(読売)
  服部年宏(東海大)
  伊東輝悦(東海一高)
 FW上野優作(筑波大)
  平野孝(清水商)
  城彰二(鹿実)

らで、監督はガンバ大阪でアジア・チャンピオンズリーグ制覇直前の西野朗でした。

この頃のアジア枠は2(現在は4)でしたが、日本ユースは準決勝で、今回と同じく、いつの時代も日本の行く手に高くそびえ立つ壁、韓国に1-2と敗れ、後一歩及びませんでした。韓国のエースは、ジェフでJ通算8000ゴールを記録している崔龍洙(チェ・ヨンス)で、今では親日家の彼もこの頃は血気盛んで、試合後日本ベンチにボールを蹴り込む暴れん坊でした。

日本ユースが初めて、地力で予選を突破したのは94年第29回アジアユース・ジャカルタ大会でした。この時のスカッドは、

 GK楢崎正剛(奈良育英高)
  下田崇(広島)
 DF田中誠(磐田)
  山田暢久(浦和)
  森岡隆三(鹿島)
  大森健作(横浜マリノス)
  山西尊裕(清水東高)
  松田直樹(前橋育英高)
  中島豪(早大)
 MF遠藤彰弘(横浜マリノス)
  熊谷浩二(鹿島)
  奥大介(磐田)
  中田英寿(韮崎高)
  伊藤卓(国士大)
  大塚真司(市原)
 FW大木勉(青学大)
  安永聡太郎(清水商)
  藪田光教(読売)
  西沢明訓(清水東)

で、監督は現スカパー解説者田中孝司氏でした。振り返れば、この成功から日本サッカー黄金の90年代が始まりました。牽引者は、言わずと知れた中田英寿氏でした。

マリノスの水沼宏太ら今回のメンバーは、今後ロンドン五輪を目指す世代ですが、悔しさを糧に変え、それぞれのクラブで研鑽を積み重ね、是非とも本大会出場を勝ち取って欲しいものです。
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック