1871年に始まった、FAチャレンジ・カップ・コンペティションは人気を博しました。初期はパブリックスクール出身者チーム(ワンダラーズ、オックスフォード大学、オールド・エトニアンズなど)が優勝を独占していましたが、次第に労働者チームが台頭、1883年ランカシャー地方ブラックバーン市の製粉工場チームである、ブラックバーン・オリンピックが優勝、以降労働者チームがカップを独占するようになりました。
それに連れて観客が増え、1885年に2万5千人だった決勝は、1892年に4万5千人、1893年以降は8万人を超えるようになりました。1874年から入場料を取るようになったことで、より内容のある試合の要求が高まると、プロ選手、プロチームが登場します。そして1885年FAはプロを認め、協会の分裂を回避します(1993年のプレミア・リーグの承認に似ています)。
フットボール・リーグの創設については、以前書き込んでいますので割愛しますが(No.915)、フットボールの隆盛とともにFAの権威は高まっていきました。1872年のスコットランドとの試合が最初のインターナショナル・マッチとなったのも、組織の充実が背景にあったと思います。また、権威あるFAが選抜したイングランド・チームよりもスコットランド・チームの方が強かったことが両者の対抗意識に火をつけ、国際試合としての人気と格式を高めていった、大きな要因となりました。
オリンピックは1892年フランスのピエール・ド・クーベルタン男爵の提唱で、1896年にアテネで開催された国際競技ですが、サッカーは、それまで個人やチームが直接出場申し込みをしていたものを、各国のオリンピック・コミッティが登録するようになった第4回から実施されています(それまでのオリンピック種目には、綱引きや芸術などがありました)。従ってFA(イングランド)やスコティッシュFAといった協会とは全く別の組織(ナショナル・オリンピック委員会)が、独自の精紳(アマチュアリズム)に合致したチームを編成し、参加したのが「グレート・ブリテン」チームでした。
このチームは連続して優勝しますが、FAカップ決勝の方が、オリンピック金メダルより遥かに価値があり、人気も高かったことは云うまでもありません。というのは、アマチュア競技は仕事を休んでも参加出来る階級のもの、即ちブルジョワ的で今よりもうんと閉鎖的でしたが、プロが参加するFAカップの方は、競技レヴェルが高かっただけでなく、オープンな大会だったので絶大な大衆の支持を得ていたのです。
しかし、ナショナリズムの高揚と平和のシンボルという理念が、オリンピックを次第に巨大なイベントに押し上げる事になり、国家の関心事になるほどの影響力のあるイベントに成長しました。サッカーの世界では、そのオリンピックの興行的成功に影響を受けて実施した、ワールドカップの開催でFIFAが大きな力を持つ組織に成長しており、IOCとFIFAは次第に協調、あるいは互いに調整し合う関係になって行きました。そして、両者の利害のせめぎ合いの中から、アマチュアリズムの撤廃、23歳以下の世界大会という、現在のレギュレーションに変化していったのです。その過程で調整されなかった問題が、英国問題です。
80年代英国病と云われ、英連邦内での求心力を失い、カナダ、オーストラリア、南アなどが完全な独立国となり、『小さな英国』つまり普通の国になってから、むしろ国家代表と英国4協会の問題は大きな矛盾として取り上げられるようになったのです。
1972年以来、英国のフットボール・チームはオリンピックに参加していませんが、これは英国の4つのネイションが別々のナショナル・チームを編成したがっているのに対し、オリンピック規則で英国はオリンピックに1チームしか派遣を認められていないからです。現在UEFAの主催するU-21がオリンピック予選を兼ねるようになった92年スペイン大会から2度スコットランドが、出場を辞退するという形で表面化しています。
今回のニュースは、英国オリンピック委員会が大会誘致の条件として、ロンドン大会に限りサッカーの全英チームを結成するという、プレゼンテーションをしたのでしょうね。あまりにタイミングが早過ぎると感じました。ネゴが十分でないため、早速スコットランド協会は拒否の姿勢と聞いています。
それに連れて観客が増え、1885年に2万5千人だった決勝は、1892年に4万5千人、1893年以降は8万人を超えるようになりました。1874年から入場料を取るようになったことで、より内容のある試合の要求が高まると、プロ選手、プロチームが登場します。そして1885年FAはプロを認め、協会の分裂を回避します(1993年のプレミア・リーグの承認に似ています)。
フットボール・リーグの創設については、以前書き込んでいますので割愛しますが(No.915)、フットボールの隆盛とともにFAの権威は高まっていきました。1872年のスコットランドとの試合が最初のインターナショナル・マッチとなったのも、組織の充実が背景にあったと思います。また、権威あるFAが選抜したイングランド・チームよりもスコットランド・チームの方が強かったことが両者の対抗意識に火をつけ、国際試合としての人気と格式を高めていった、大きな要因となりました。
オリンピックは1892年フランスのピエール・ド・クーベルタン男爵の提唱で、1896年にアテネで開催された国際競技ですが、サッカーは、それまで個人やチームが直接出場申し込みをしていたものを、各国のオリンピック・コミッティが登録するようになった第4回から実施されています(それまでのオリンピック種目には、綱引きや芸術などがありました)。従ってFA(イングランド)やスコティッシュFAといった協会とは全く別の組織(ナショナル・オリンピック委員会)が、独自の精紳(アマチュアリズム)に合致したチームを編成し、参加したのが「グレート・ブリテン」チームでした。
このチームは連続して優勝しますが、FAカップ決勝の方が、オリンピック金メダルより遥かに価値があり、人気も高かったことは云うまでもありません。というのは、アマチュア競技は仕事を休んでも参加出来る階級のもの、即ちブルジョワ的で今よりもうんと閉鎖的でしたが、プロが参加するFAカップの方は、競技レヴェルが高かっただけでなく、オープンな大会だったので絶大な大衆の支持を得ていたのです。
しかし、ナショナリズムの高揚と平和のシンボルという理念が、オリンピックを次第に巨大なイベントに押し上げる事になり、国家の関心事になるほどの影響力のあるイベントに成長しました。サッカーの世界では、そのオリンピックの興行的成功に影響を受けて実施した、ワールドカップの開催でFIFAが大きな力を持つ組織に成長しており、IOCとFIFAは次第に協調、あるいは互いに調整し合う関係になって行きました。そして、両者の利害のせめぎ合いの中から、アマチュアリズムの撤廃、23歳以下の世界大会という、現在のレギュレーションに変化していったのです。その過程で調整されなかった問題が、英国問題です。
80年代英国病と云われ、英連邦内での求心力を失い、カナダ、オーストラリア、南アなどが完全な独立国となり、『小さな英国』つまり普通の国になってから、むしろ国家代表と英国4協会の問題は大きな矛盾として取り上げられるようになったのです。
1972年以来、英国のフットボール・チームはオリンピックに参加していませんが、これは英国の4つのネイションが別々のナショナル・チームを編成したがっているのに対し、オリンピック規則で英国はオリンピックに1チームしか派遣を認められていないからです。現在UEFAの主催するU-21がオリンピック予選を兼ねるようになった92年スペイン大会から2度スコットランドが、出場を辞退するという形で表面化しています。
今回のニュースは、英国オリンピック委員会が大会誘致の条件として、ロンドン大会に限りサッカーの全英チームを結成するという、プレゼンテーションをしたのでしょうね。あまりにタイミングが早過ぎると感じました。ネゴが十分でないため、早速スコットランド協会は拒否の姿勢と聞いています。


